2009年09月30日

荻太郎先生を悼む

荻太郎先生にはじめてお会いしたのは4年ほど前のことでした。銀座ハヤシ画廊で新作小品展を観ていると、一組の老夫婦が訪ねてきました。画廊主の林さんがスッと立ち上がりお二人に挨拶なさっている。荻太郎先生だとすぐにわかりました。足どり確かで背筋はピンとまっすぐ。おしゃれで物腰やわらか。とても品のいい紳士でした。齢90とはにわかに信じられぬほどお元気なご様子でした。

それ以前にも電話では何度かお話をしていたとはいえ、著名な大家との初対面に20代の私はすっかり縮こまってしまいました。林さんから紹介されて滑稽なほど深々とお辞儀したらしいことは覚えています。

緊張しているのを見て取ってか、荻先生は「やあ、あなたがSさんですか」と気さくに声をかけて右手を差し出してくださいました。目下の者に対する年長者といった態度ではありません。対等の姿勢でした。長年の友人に対するような親しさと暖かさに溢れていました。何をお話したのか定かに思い出せませんが、別れ際のやりとりは忘れられません。再び握手をしながら「またお出かけください」と。「私のような若造でよろしければ」と恐縮しつつ申し上げれば「もちろんです。僕は若い人が大好きなんです」と笑って応じてくださいました。

またお出かけください…

このお言葉に甘えて、たびたび荻先生を訪ねたものです。ご自宅で、都美術館で、椿山荘で、いろいろなお話を伺いました。仕事に関わる相談もありましたが、ほとんどは雑談でした。絵・猫・野球・建築・画壇・美術教育・生き物たちのことや苦い戦争の記憶まで、どれも心に残っています。最もいきいきとお話しくださったのは新制作の創立者たちの思い出でした。小磯良平先生や脇田和先生、師である猪熊弦一郎先生を語る荻先生の眼は画学生のような若々しい憧憬と輝きに満ちていました。

椿山荘でお茶をご馳走になったとき「ここには猪熊先生の絵があるんです。ちょっと観に行きませんか?」と誘われるがまま、見事な大作(200号か300号だったと思いますが定かではありません)を拝見しました。前に立った瞬間、先生は絵に魂を奪われたかのように身じろぎひとつせず凝視なさっている。何も言わずに5分か10分、ただならぬ空気を察した私も先生に倣って絵を見詰めていました。ある時「猪熊先生はどんな方でしたか?」と伺ったことがあります。

あの方は僕よりひと回り年上で、初めてお会いした時にはすでに偉い先生でした。なのにちっとも偉ぶることなく、なぜか実の息子か弟のようにかわいがってくださいました。猫が好きでね、生き物を慈しむ優しい方でした。小磯先生や脇田先生もそうでしたが立派な紳士でした。長年の友人のように暖かく迎えてくださいました…。

いつか荻先生のことを誰かにたずねられたら、私も同じように答えることでしょう。たとえ一生、人としての器が新制作創立の紳士たちや荻先生に及ばなくても。

お通夜の日、祭壇横に飾られた絵があまりにも見事だったので会場の方にお願いして後でじっくりと見せてもらいました。その際に運良く亡骸との対面も許されました。安らかなお顔でした。込み上げてくる気持ちを抑えられず、初めてお会いした時に負けないくらい深々とお辞儀をしました。「ありがとうございました!」と、お腹の底からの小声で申し上げました。ばち当たりなことに合掌するのを忘れてしまいました。しかし一番伝えたかった言葉をかけることができました。悔いを残さないよう最後までお気遣いくださったのでしょう。

4年足らずの短いお付き合いながら、世代と立場を超えて多くを学びました。常に揺るぎなく、時に慈愛に、時に荒々しさに満ち、作品固有のリアリティと生命力を宿した作品群のすばらしさとともにお人柄を未来に伝えていきたい。それがせめてものご恩返しだと思います。ご冥福をお祈りするとともに、一人でも多くの方が美術館や画廊の常設・企画展や新制作展の特別展示などを通じて荻先生の画業に触れ、何かを感じてくださるよう願っています。合掌。(S)

taro_ogi.jpg rafu.jpg

新制作協会
http://www.shinseisaku.jp/

岡崎市立美術博物館
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/top.html

日動画廊
http://www.nichido-garo.co.jp/
posted by ART BOX at 11:31| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | ■スタッフの日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事、拝読させて頂きました。
荻先生筆をもたれる時のお姿、溢れるように語られる時の笑顔を思い出しておりました。
荻先生が作品に残されて、伝えられる事は、学んだものの筆に、記もののペンに永久に生き続けると信じています。
素敵な文章を有り難う御座いました。

荻先生のご冥福を心よりお祈りしております。
Posted by 阿蘇山A at 2009年10月01日 09:51
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